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作品詳細

鉄腕投手・稲尾物語
テツワントウシュイナオモノガタリ

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カテゴリー
劇映画 
公開年月日
1959年03月21日 
製作会社
東宝 
配給会社
東宝 
レイティング
一般映画  
英語名
 
上映時間
105分  

「大笑い江戸っ子祭」の蓮池義雄のオリジナル・シナリオを「こだまは呼んでいる」の本多猪四郎が監督する、西鉄ライオンズの稲尾投手をモデルにした野球映画。撮影は「デン助の やりくり親父」の遠藤精一が担当。

スタッフ

製作
杉原貞雄
構成
菊島隆三
脚本
蓮池義雄
監督
本多猪四郎
撮影
遠藤精一
音楽
古関裕而
美術
北辰雄
照明
高島利雄
録音
三上長七郎
監修
三原脩

ストーリー

稲尾和久は昭和十二年六月十日、別府北浜の漁師の七人兄妹の末ッ子に生れた。父の久作は一本気で曲ったことの大嫌いな男だった。和久もこうした負けん気な性格を受けついだ。十一歳のある日、和久は友達に舟が漕げないだろうとからかわれ、憤然として荒海に乗り出した。知合いの松源旅館の娘紀子の知らせで、母かめのは久作に救け舟を出すように頼んだが、久作は許さなかった。和久は父の期待通り、無事に舟を漕ぎ通した。久作の父性愛は和久に不屈の精神を叩き込んだ。その年、荒巻投手の星野組が全国実業団野球大会に優勝して、別府に凱旋して来た。和久はそれをみて心おどらせた。前から和久の肩のいいのを知っている松源の源太郎は、自分のチームのキャッチャーになるようすすめた。貧しい家のことを考えた和久は、一応は断ったが野球の誘惑には勝てなかった。母は乏しい家計の中から、和久にグローブを買ってくれた。中学に入って和久は父に内証で野球部に入った。父はそれを知って、やるなら最後までがんばれと、和久を励ました。県立緑ケ丘高校に進学した和久は、二年の時にピッチャーに転向した。その頃から、和久は父も驚くほどのトレーニングに励んだ。試合に負けると父に怒鳴られ、キャッチャーの栗原も良き友であり、美しい女学生節子に淡い恋心を抱くなど、和久の高校時代は楽しかった。彼の才能をプロ球団が見逃すはずはなかった。九州男児の和久は、郷土のチーム西鉄ライオンズに入団した。開幕第一戦、対大映戦にリリーフとして登板、見事にその責任を果した。この頃から父は健康を害しはじめた。和久の活躍は自覚しく、その年は二十一勝六敗でパ・リーグ新人王、翌三十二年には最高殊勲選手並びに最優秀投手の栄冠に輝いた。久しぶりに故郷に帰った和久の心は、父の衰弱ぶりが激しく暗かった。父のために日当りのよい二階家を建ててやろうと決心した。が、キャンプ中に父危篤の電報が届いたのは、それから間もなくであった。駈けつけた和久を、久作は大事な練習を休むなと追いかえした。父死すの電報を秘めて練習に励む和久、それをみつめる三原監督の目は感動に濡れていた。三十三年、西鉄はシーズン末まで苦戦が続いた。しかし、悪戦苦闘の末三たび首位を獲得して、宿敵巨人と日本選手権を争うことになった。その第一戦、長島を加えた巨人は見事稲尾攻略に成功した。余勢を買って巨人は三連勝、西鉄を窮地に陥し入れた。が、和久はくじけなかった。第四戦以後、和久は投げて投げて投げまくった。そして球史始って以来の逆転優勝を成し遂げた。博多の街は西鉄チームの凱旋でわきかえっていた。和久は亡き父のはなむけに優勝の報告をした。そして母を東京見物に誘うのだった。

仕様

  • カラー/モノクロ:
  • 映写フォーマット: フィルム /35mm
  • サウンド: モノラル

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